#デルフィーヌ#
カトリーヌ・ドヌーヴ|Catherine Deneuve
バレエ教師。パリで本格的にバレエを踊りたいと思っている。理想の愛を夢想していて、まだ見ぬどこかにいる誰かを待っている。
#ソランジュ#
フランソワーズ・ドルレアック|Françoise Dorléac
音楽家志望。パリで作曲家として成功したいと思っている。情熱的な恋を求めていて、目の前に現れる運命を掴み取ろうとする。
#イヴォンヌ#
ダニエル・ダリュー|Danielle Darrieux
広場でカフェを営む、双子の母。
#シモン・ダム#
ミシェル・ピコリ|Michel Piccoli
楽器店の店主。
#エチエンヌ#
ジョージ・チャキリス|George Chakiris
キャラバンのリーダー格。広場に祭りの準備をしに来た。
#ビル#
グローヴァー・デール|Grover Dale
エチエンヌの相棒。
#マクサンス#
ジャック・ペラン|Jacques Perrin
水兵であり画家。
#アンディ・ミラー#
ジーン・ケリー|Gene Kelly
アメリカ人の著名な作曲家。
こんな方におすすめ|Ideal for
日常を鮮やかな色彩で塗り替えたい方
退屈でモノクロな毎日から、パステルカラーの色彩美とミシェル・ルグランの旋律が織りなす「魔法の世界」へ連れ去ってほしい。ポジティブなエネルギーをチャージしたい。
「ここではないどこか」への憧れがある方
地方都市からパリを夢見る姉妹の姿に、今の場所から一歩踏み出し、自分らしい生き方を手に入れたいという願いを重ねたい。
ジャック・ドゥミの作家性に触れたい方
『シェルブールの雨傘』とは対照的な「陽」の極致を描きながら、随所にリアリズム(現実の残酷さ)を忍ばせるドゥミ特有の作家性を深く味わいたい。
あらすじ|Plot
フランス西部の軍港の町、ロシュフォール。年に一度の祭りを控え、活気に満ちた広場にキャラバンがやってくる。
バレエ教師のデルフィーヌと音楽家志望のソランジュは美しい双子の姉妹。彼女たちは地方都市での暮らしに退屈し、まだ見ぬ理想の恋人と芸術の都パリへの憧れを胸に抱いていた。
街には理想の女性の絵を描く水兵マクサンス、かつての恋人を忘れられない楽器店の店主シモン、広場でカフェを営むイヴォンヌ、そして作曲家のアンディなど、さまざまな「愛」を求める人々が交錯する。
誰かと誰かが出会い、すれ違う——。ミシェル・ルグランの軽快な旋律に乗せて、色鮮やかなパステルカラーの街角で繰り広げられる恋の騒動。果たして彼女たちは運命の相手と巡り会い、パリへの扉を開くことができるのか?
感想|Impression
ストーリーの流れに沿って記載しました
ネタバレ回避の方は途中までご覧下さい
物語の結末(ラスト)の内容も含まれます
トランスボドゥール橋|Le Pont transbordeur
映画はカモメの鳴き声から幕を開けます。この鳴き声が私の心をフランス西部の港町まで連れ出してくれます。
キャラバンが運搬橋に乗り込み、歌はありませんが最初のミュージカルシーン(♪トランスボドゥール橋♪)が始まります。ミシェル・ルグランによる軽快な曲が物語への期待を高め胸を弾ませてくれます。
キャラバンがコルベール広場へ向かう途中、行進中の軍隊とすれ違います。ついさっき軽快なダンスを踊ったキャラバン一行との対比が印象的です。
キャラバンの到着|Arrivée des camionneurs
コルベール広場では♪キャラバンの到着♪のミュージカルが始まります。これは何回でも聞いていられる名曲です! 映画『スウィングガールズ』(2004年)でも使われている中毒性のある曲に、映画が始まって数分でこの映画が生涯のベスト級の作品であると確信させられます。
画面の手前の方に子供たちがちょこんとあしらわていてとってもかわいらしい!
双子姉妹の歌|Chanson des jumelles
♪キャラバンの到着♪が終わるとカメラはそのままバレエ教室の室内を映していきます。バレエの練習をする子供たちが見え、いよいよデルフィーヌとソランジュの登場。
デルフィーヌとソランジュの衣装がそれぞれピンク色と黄色のマチのドレス着て、そのマチの色と同色の帽子を被っているんですがとにかくおしゃれでかわいいです。
♪双子姉妹の歌♪も中毒性がありますね。明るく楽しげな曲なのでポジティブなエネルギーを補給したい時なんかにはうってつけの曲です!
歌が終わるとデルフィーヌはギョームに会うために画廊へ向かいます。
マクサンスの歌|Chanson de Maxence
広場にあるイヴォンヌのカフェに理想の女性を追い求める水兵マクサンスがやってきます。
この世にたった一人の女性を探し求める♪マクサンスの歌♪の純粋な歌詞と情緒的なメロディに少しむず痒い気持ちを覚えてしまいます。
デルフィーヌからランシアンへ|De Delphine à Lancien
ギョームの画廊へ向かうシーンではデルフィーヌの歩みに合わせて、並行に動くドリーによるトラッキング・ショットが使われます。私このシーン好きなんですよね。彼女の迷いのない歩調が、すでにギョームとの関係に終止符を打とうとする決意を象徴しているようで見ていて頼もしさすら感じます。
デルフィーヌがギョームの画廊に足を踏み入れると、バンッっと銃声が響きます。ギョームはペンキを入れた小袋をピストルで打ち抜き絵画を制作していました。どこか都会的な気取りを感じてしまい、なんか苦手だなーこの人みたいに思ってしまいました。マクサンスが理想を静的にキャンバスに描いているのに対し、ギョームは動的にピストルでハプニング・アート的アクション・ペインティングを行っていて、どちらかといえばマクサンスの恋の応援をしてあげたくなりました。
画廊にはマクサンスが描いた理想の女性の絵が飾られているんですが、正直もう少し魅力的に描いて欲しかったなとは感じました。
♪デルフィーヌからランシアンへ♪は白、黒、グレーが基調となっているギョームの画廊内で歌われます。鮮やかなピンクをまとっているデルフィーヌはこの場所に馴染む色を持っておらず、ここを出るべき運命にあるのです。
ちなみに、実はこのギョームの「銃で撃つ」スタイルには元ネタがあると言われています。1960年代に活躍した女性アーティスト、ニキ・ド・サンファルの「射撃絵画(シューティング・ペインティング)」です。 彼女もライフルで絵の具の袋を撃ち抜いて作品を作っていました。ドゥミ監督は当時の最先端のアートシーンを、ギョームというキャラクターに投影させていたのかもしれません。
町から町へ|Nous voyageons de ville en ville
ブブを迎えに行っていたエチエンヌとビルがカフェに戻ってきて、♪町から町へ♪を歌い踊ります。躍動感と疾走感にあふれる曲にこちらまで踊り出したくなります!
デルフィーヌの歌|Chanson de Delphine
バレエの稽古場でデルフィーヌが♪デルフィーヌの歌♪を歌い上げます。エモーショナルな曲になっていて♪マクサンスの歌♪と呼応するような内容になっています。
シモンの歌|Chanson de Simon
シモンの店にソランジュが楽譜を取りに来て、そこでその日の朝に作曲したという♪コンチェルト♪をシモンに聞かせることになります。
若者たちが「未来の運命」を歌うのに対し、♪シモンの歌♪では「過去の喪失」を歌います。『あんなに愛していたのに、なぜ手放してしまったのか』というシモンの後悔には深く共感できますが、別れの理由が「苗字がダム(婦人)になるのが嫌だった」というのは、現代の視点で見ると少し首を傾げてしまうかもしれません。でもそんな些細で滑稽な理由で運命が狂ってしまうところに、人生の苦みが隠されている気もします。
ソランジュが来る前に修道女たちが店を訪れていますが、去り際に「Au revoir, Monsieur Dame (オ・ルヴォワール、ムッシュ・ダム)」とシモンに挨拶し、少しクスクスと笑っています。日本語では「ムッシュ・ダム」は「ミスター・婦人」みたいなニュアンスになってしまうためおかしく感じているのです。
イヴォンヌもシモンと結婚すると「マダム・ダム(婦人夫人)」と呼ばれることになってしまい、これがシモンの元を立ち去った原因になっています。
恋するアンディ|Andy amoureux
ジーン・ケリーはもう言うこと無しですね。彼が恋に落ちた瞬間の顔を見るとこちらも思わずニヤついてしまいます。
♪恋するアンディ♪ではピアノの跳ねるような音と、彼の軽快なタップダンスが、観ているだけで楽しい気分にさせてくれます! タップを踏んでいる石畳から音符が飛び出してきそうなそんな感じさえします。
水夫、友達、恋人、または夫|Marins, amis, amants ou maris
女性メンバーの二人がキャラバンを出ていくことになり♪水夫、友達、恋人、または夫♪が始まります。軽快な曲に仕上がっていて、この辺りまでくるともうサントラを買ってしまうかなと言う気持ちにさせられます。
イヴォンヌの歌|Chanson d’Yvonne
カフェでは♪イヴォンヌの歌♪をしっとりと歌い上げます。この映画に登場する歌は基本的に吹替で演じた俳優が歌っているわけではないんですが、この歌だけはダニエル・ダリューが自ら歌っています。
先ほど登場した♪シモンの歌♪も実は同じ旋律で歌っていて、二人は別々の場所で、同じメロディに乗せて同じ後悔を歌っていることになります。この『見えないデュエット』こそがドゥミ監督が仕掛けたの魔法の一つで、観客だけが二人の心が重なっていることを、言葉ではなくメロディの共有によって表現しています。これは目に見えるマッチカット以上に強固な、音のマッチカットとも呼べる粋な演出だと思います。
マクサンスの歌(リプライズ)|Chanson de Maxence replies
マクサンスの理想の女性を描いた絵をデュトルに見せるために二人は画廊へと足を運びます。♪マクサンスの歌(リプライズ)♪をしっとりと口ずさむマクサンス。歌の最後にカメラは理想の女性の肖像画をクローズアップで映し出し、やがて本物のデルフィーヌへとマッチカットで繋がります。この「虚構(理想)」から「現実」へ移行した瞬間、劇中の二人はまだお互いを知りませんが、観客だけが「この二人は出会うべき存在だ」と知ることになります。このマッチカットにより観客はこの後に続く二人のニアミスを「もどかしい」と感じる特等席の目撃者(共犯者)に仕立て上げられます。これがラストシーンの出会いへの期待感を最大化させることになるのです。
ソランジュの歌|Chanson de Solange
帰ってきたソランジュがアンディとの出会いを♪ソランジュの歌♪として歌います。ちょっとメロディが掴みにくいというのが正直な印象です。
ハンブルグからロシュフォールへ|De Hambourg à Rochefort
エチエンヌとビルが雇っていたダンサーの代役を探すためにデルフィーヌたちのもとにやって来ます。
♪ハンブルグからロシュフォールへ♪の軽快で華やかなメロディの途中で、恋を追い求めるギョーム、イヴォンヌ、アンディ、シモン、マクサンスたちの想いが並行モンタージュで描かれます。もう早く会わせてあげて! みたいな気持ちになりますね。
並行モンタージュで画を繋ぎながらひとつの楽曲(音楽的リズム)を共有することで、運命の同時性が強調され、 観客に対し「この人たちはまだ出会っていないけれど、同じ世界、同じリズムの中にいる」という予感を与えてくれます。
バラバラにされた女|La Femme coupée en morceaux
土曜日になり、マクサンスがカフェにやって来ます。
イヴォンヌのカフェで語られる、老女ローラ・ローラがバラバラに殺害されたという衝撃的なエピソード。♪バラバラにされた女♪の足早なメロディに乗せて語られるその凄惨な内容は、初見の観客を激しく困惑させます。
なぜドゥミ監督は、この多幸感あふれる世界に、あえて「バラバラ殺人犯(デュトル)」という異質な影を落としたのでしょうか? それは本作を単なるおとぎ話に終わらせないための、甘美な夢を現実に繋ぎ止める「錨」だったのではないかと思います。
歌と踊りに彩られた理想郷のすぐ隣で、吐き気がするような惨劇が並走している。ドゥミは「どれほど美しい歌声が響く街でも、その裏側では血生臭い事件が起きているのが現実だ」という冷徹な事実を突きつけます。このコントラストによって、映画のキラキラした美しさが「一瞬の幻」のような危うさを帯び、より鮮烈に際立つのです。『シェルブールの雨傘』が戦争によって引き裂かれる現実を描いたように、本作でも「死」や「事件」を配置することで、甘いだけの物語に終わらせない深みを与えているのではないでしょうか?
めぐり合い|Les rencontres
ナントへの出発を目前に控え、マクサンスが興味本位で立ち寄った殺人事件の現場。そこには同じく居合わせたソランジュの姿があります。 ここではニアミスの連鎖が繰り広げられます。マクサンスとソランジュ、マクサンスとアンディ、そしてアンディとデルフィーヌ……。
ここで歌われる曲の♪めぐり合い♪というタイトルとは裏腹に、手を伸ばせば届く距離にいるのに、なぜか望んだ相手だけに出会えないというもどかしい状況が演出されます。
アンディの歌|Chanson d’Andy
アンディがシモンの店にやって来て、自身の成功の果ての虚しさやソランジュとの出会いを♪アンディの歌♪に乗せて歌いあげます。
アンディが拾った楽譜の旋律を奏でるとシモンは「聞き覚えが……どこかで聴いた。どこで?」と呟きます。「つい昨日、同じピアノで同じ旋律をソランジュが弾いていたじゃないか!」**という野暮なツッコミは、ここでは禁物です。
お祭りのバレエ|Kermesse
デュトルを招いた晩餐会が終わり、いよいよ祭りの当日です。昨夜のテーブルに漂っていたあの不穏な空気は、コルベール広場を埋め尽くす観客の熱気と、ダンサーたちが放つ圧倒的なエネルギーによって一瞬で塗り替えられます。
ある夏の日の歌|Chanson d’un jour d’été
赤いドレスに身を包んだ姉妹が、人生の全てを抱きしめるようにして歌い始めます。
もう夏も終わり 秋がやってくる
冬はすぐそこ 夏が恋しくなる
夏が来るまで 冬の季節が続く
心が凍りついたら 愛しなさい
人生と花 微笑と涙を愛するの
昼と夜 太陽と雨を愛する
冬と風 町と故郷を愛する
海と火と大地を愛せば幸せ
恋が終われば 心はしぼむ
愛は戻らない
切なくて悔やむけれど
新しい恋が待ってる
心がうつろな時
つらくて悲しい時は愛しなさい
引用:映画『ロシュフォールの恋人たち』日本語字幕(訳:古田由紀子)
♪ある夏の日の歌♪はポジティブな気持ちになれる曲ですので失恋の悲しみをまだ癒しきれていない方などにおすすめです!
いつもいつも|Toujours, jamais
熱狂のお祭りが終わり、夜の静寂が訪れたコルベール広場。翌朝には街を去るエチエンヌとビルが、デルフィーヌとソランジュを伴ってこの曲♪いつもいつも♪を歌います。
コンチェルト|Concerto
運命の歯車が、一気に加速し始めます。 姉妹の元を訪れたシモンが伝えたのは、アンディが楽器店でソランジュを待っているという歓喜の知らせでした。ブブの迎えをシモンに託し、ソランジュは愛の結実を求めてアンディの元へと駆け出します。それと呼応するように、デルフィーヌもまた新しい未来を掴むため、パリ行きのトラックが待つ広場へと向かいます。
出会いの準備は完璧に整いました。しかし、ドゥミ監督はデルフィーヌとマクサンスには最後の最後まで「ニアミスの連鎖」を課し、その結末を物語の真の終着点へと持ち越します。
楽器店で再会を果たしたソランジュとアンディ。二人は湧き上がる情熱を抑えきれないかのように、♪コンチェルト♪をドラマチックに踊ります。 最後にキスをした時に少しこちらの方が恥ずかしくなってしまいましたが、ようやく愛の成就がなされました。
そして、時を同じくしてイヴォンヌとシモンもようやく再会を果たします。
キャラバンの若者たちの出発|Départ des forains
エチエンヌたちはデルフィーヌとカフェの店員のジョゼットをトラックに乗せロシュフォールを後にします。
物語との別れを惜しむかのように、落ち着いたテンポで始まる♪キャラバンの若者たちの出発♪。 画面を彩るダンスは、どこか名残惜しさを孕みながらも、洗練された美しさを放ちます。特に男性ダンサーが女性ダンサーを高く、軽やかに持ち上げるリフトのシーンは、重力から解放されたような優雅さがあり、なんだかうっとりとしてしまいました。
そして、いよいよ運命の瞬間が訪れます。 徒歩でパリへと向かう道すがら、マクサンスの横を一台のトラックが通り過ぎます。彼がヒッチハイクをして乗り込んだその荷台には、彼がずっと描き、追い求めてきた「理想の女性」——デルフィーヌが座っていました。
フィナーレ|Final
物語の結末からエンドロールへの繋ぎにドゥミ監督はアイリスアウトを使用しています。円形のシャッターが閉じるように画面が絞り込まれていくこの技法は、サイレント映画時代によく使われていたものです。ドゥミ監督は過去の名作映画へのオマージュ(敬意)として、あえてこのレトロな手法を採用しました。
画面が絞り込まれた後、最後に残る背景や円の外側が鮮やかなロイヤルブルー(青色)になります。これは映画全体の色調設計(カラーパレット)に基づいたもので、自由や希望、あるいはこの物語が「おとぎ話」であることを象徴するような、非常に人工的で美しい終わり方になっています。
トラックが走り去る(=運命が動き出す)様子をアイリスアウトで閉じることで、「物語はここで一旦幕を閉じるけれど、彼らの人生は続いていく」という軽やかな余韻を残しています。
日常を塗り替える「パステルカラーの魔法」
映画の幕開けから、人々の何気ない動作がいつの間にか軽やかなダンスへと溶け込んでいく演出に、一瞬で心を奪われます。パステルカラーに塗り替えられたロシュフォールの街並みを背景に、ミシェル・ルグランによる瑞々しいスコアが響き渡る様子は、まさに五感が躍り出すような色彩のシンフォニー。
街並みや、広場を横切る足取りさえもが音楽と完璧に調和し、見慣れたはずの景色を特別な夢の国へと変えてしまう。そんな圧倒的な多幸感に包まれる「魔法の時間」が、この映画には流れています。
特に、カトリーヌ・ドヌーヴとフランソワーズ・ドルレアックという実の姉妹が披露する「双子姉妹の歌」の多幸感、そしてハリウッドのレジェンド、ジーン・ケリーが魅せる躍動感あふれるステップは、時代を超えて観る者すべてを圧倒的な幸福感で包み込んでくれます。
「ここではないどこか」への切実な憧憬
本作の登場人物たちは、今の暮らしを愛しながらも、心のどこかで「理想の相手」や「芸術の都パリ」といった「ここではないどこか」を追い求めています。
デルフィーヌやソランジュが抱く新天地への憧れ、そして画家マクサンスがキャンバスに描き続ける「まだ見ぬ理想の女性」への渇望。それらは一見、浮世離れしたおとぎ話のようでありながら、実は誰もが心の奥底に抱えている「普遍的な孤独」や「未来への希望」を鮮やかに映し出しています。この純粋な「憧れ」のエネルギーこそが、物語を前へと推し進める力強い原動力となっているのです。
解説|Commentary
「軍事都市」の直角が生む「グリッド」の機能
ロシュフォールは17世紀、ルイ14世の命により「海軍工廠(造船所)」として造られた、計画的な軍事都市であるため街全体が直線的な構造になっています。この数学的に整然とした都市構造こそが、本作の物語に「視覚的な様式美」と「運命的な必然性」を与えています。
物語の構造に目を向けると、運命の二人があと一歩のところで出会えない「すれ違い」が、執拗なまでに繰り返されます。あまりにも絶妙なタイミングで視線が外れる展開に、現代の視点では「予定調和」や「ご都合主義」と感じる瞬間があるかもしれません。
しかし、このもどかしさこそが本作の醍醐味です。ロシュフォールの直線的な街並み(グリッド)の上で、まるで数学的な計算式に基づいているかのようにニアミスを繰り返す様式美。個人的には、この「直線的な交差」があるからこそ、バラバラだった運命の糸が最終的に必ず一点へと収束し、ラストに訪れる小さな奇跡がより一層の輝きを放つのだと感じました。
クレーンショット:日常を「祝祭」へと引き上げる視点
本作のダンスシーンでは一気に空へと舞い上がるようなクレーンショットが多用されます。私たちは「映画を観ている」という感覚を超え、自分も一緒にロシュフォールの空へ舞い上がるような多幸感を味わいます。ミシェル・ルグランのスコアには、独特の「飛び跳ねるような浮遊感」があり、ドゥミ監督はこの音楽を視覚化するためにクレーンショットを多用しました。
ドゥミ・ユニバース
ドゥミ監督の作品には、「別の映画のキャラクターが、名前や設定をそのままに再登場する」という遊び心が散りばめられています。
これにより、作品を跨いでキャラクターの「その後」や「過去」を知ることができ、観客はドゥミが創り上げた巨大なパズルの中に迷い込んだような感覚を味わえます。
| キャラクター | 登場人物 | つながりの内容 |
| ローラ・ローラ | 『ロシュフォールの恋人たち』 | 本作で語られる「バラバラにされた老女」。実は『ローラ』の主人公の成れの果てという説がある |
フランソワーズ・ドルレアックの死
カトリーヌ・ドヌーヴの実姉であり、本作でソランジュを瑞々しく演じたフランソワーズ・ドルレアック。彼女の死は、映画が世界中で絶賛を浴びていた絶頂期に訪れました。
『ロシュフォールの恋人たち』がフランスで公開(1967年3月8日)されたわずか三ヶ月後(1967年6月26日)、ニースの空港へ向かう途中の不慮の事故。25歳という若すぎるその死は、世界中の映画ファンに衝撃を与えました。
市長室が「稽古場」に? 街を挙げた映画への情熱
デルフィーヌとソランジュが『双子姉妹の歌』を歌う部屋。実は、ロシュフォール市役所の本物の市長室で撮影されています。当時の市長がドゥミ監督のビジョンに惚れ込み、執務室をバレエの稽古場として提供しました。さらに市長は、街中の扉や窓枠をパステルカラーに塗り替えることまで許可しました。ロシュフォールの魔法は、行政をも動かした情熱から生まれたのです。
ドゥミ監督はロシュフォールの街を塗り替える際、単に「パステルカラーで」と頼んだわけではありません。 フランスの資料によると、監督は「300以上の戸口と2,000以上の窓枠」を、自身の指定した厳密なカラーチャート(色見本)に基づいて塗り替えさせました。しかも、撮影後には「すべて元の色に戻す」という約束を市長と交わして実行しています。
(2009年発売『ドヌーヴ×ドゥミ×ルグラン コンプリートDVD-BOX(7枚組)』特典、アニエス・ヴァルダ監督による『25年目のロシュフォールの恋人たち』などを参照)
初期構想:ヘップバーンとバルドーの「ショーガール」案

現在私たちが目にしている『ロシュフォールの恋人たち』は、ドヌーヴとドルレアックという「実の姉妹」による物語ですが、初期の企画段階では全く異なるキャラクター造形が考えられていました。
ドゥミ監督が最初にイメージしていたのは、オードリー・ヘップバーンとブリジッド・バルドーという、当時の銀幕を象徴する二人のスターによる「対照的なショーガール」の物語だったのです。
「姉妹ではなく、ハワード・ホークス監督のミュージカル・コメディー『紳士は金髪がお好き』のジェーン・ラッセルとマリリン・モンローのように、オードリー・ヘップバーンがブルネットで、ブリジッド・バルドーがブロンドという対照的なイメージの二人のショーガールの話を考えていました。」 (引用:2009年発売『ドヌーヴ×ドゥミ×ルグラン コンプリートDVD-BOX(7枚組)』特典ブックレット内 インタビューより)
もしこのキャスティングが実現していたら、映画はよりハリウッド的な「ショービジネスの光と影」を描く作品になっていたかもしれません。しかし、オードリーの降板などを経て企画が練り直された結果、ドゥミ監督は「主役のふたりを双子の姉妹にする」というアイディアに辿り着きました。
この「企画の転換」があったからこそ、私たちはドヌーヴとドルレアックという伝説的な姉妹共演を目にすることができたのです。
もしもジーン・ケリーが出演していなかったら
本作の多幸感を象徴するアンディ役のジーン・ケリー。しかし、彼の出演は単なる「豪華なゲスト」以上の、作品の存続をかけた運命的なものでした。
ドゥミ監督は、当初オードリー・ヘップバーンとブリジッド・バルドーによる競演を企画していましたが、紆余曲折の末に頓挫。フランスでミュージカル映画を作ることへの逆風が吹く中、救世主として現れたのがジーン・ケリーでした。
「ジーン・ケリーが出演してくれることになって、アメリカからの出資も得られることになりました。(中略)彼のためにわたしは作曲家の役を考え、彼の存在がアメリカのミュージカル・コメディーとわたしの映画との橋渡しとなるようにと願ったのです。」 (引用:2009年発売『ドヌーヴ×ドゥミ×ルグラン コンプリートDVD-BOX(7枚組)』特典ブックレット内 インタビューより)
もし彼が出演していなければ、資金面でのバックアップが得られず、企画自体が消滅していた可能性すらあったのです。
ハリウッドの伝説である彼が、フランスの若き才能たちと手を取り合ったことで、アメリカのダイナミズムとフランスの繊細さが完璧な調和を見せる「ハイブリッドな傑作」が誕生しました。彼がソランジュと結ばれるラストシーンが、名作『巴里のアメリカ人』のセルフ・オマージュのように輝いて見えるのは、まさにドゥミ監督からジーン・ケリーへの、そしてミュージカルの歴史への最大級の敬意が込められているからなのです。

